こころのなかの小さな声

ささいなことでも考えたことを記録していくブログ

高齢で不妊治療中の働く女性、ここがストレス

高齢で不妊治療中の働く女性は、人によってはかなり責任のある地位にいたり、重要な仕事を任されている人が多いのではないだろうか。

わたしはちいさな会社に勤めていて、わたしと部下(4月からの新人さん)のふたりで事業を切り盛りしてる。


ここでわたしは二つのことで気が重くなる。ひとつは仕事の量。まだ新人さんはほとんど戦力にはなってないとはいえ、ファイルの整理やデータベース入力など、こまこました仕事も全部わたし1人でやらなければいけない。膨大な仕事を前にものすごく憂鬱になる。

 

もうひとつは理由。「子どもの熱がさがらなくて」「せきがとまらなくて」といわれたら「はい、お大事に」としかいえない。その圧倒的な理由の正当性にひねくれた気持ちがわきおこる。いいよね、まっとうな理由のある人は。(ああ、言ってしまった)

これは、「持てる者(マジョリティ)と持たざる者(マイノリティ)」の構造で自分と相手を捉えているからこそでてくるものだ。

いいよね、お金のある人は
いいよね、幸せな人は
いいよね、彼氏のいる人は

裏には持てていない物への「あせり」や「ねたみ」、このままずっと持てないのではないかという「恐怖」がある。

この構造に入ってしまうと、自分自身がかなり苦しい。
だからわたしは「こんなにひねくれちゃうくらい、わたしにとって子どもがほしいんだな」と考えるようにしている。
それで、あんまりひねくれた感じをこねくりまわさないようにして、「さ、仕事仕事」と頭を(無理やり)切り替えるのだ。

これはここ半年くらいでやっと思えるようになった。
自分のやり場のない嫉妬心や悲しみに途方にくれて、毎日毎日家で泣くという日もあった。たぶんホルモンバランスの関係だと思うけど、周期的にうつの時期がやってきて、湖の底に沈んだように救いようのない暗さが襲ってくるときもあった。

こんなとき私の中にすっとはいってきたのは、シスターの言葉だった。

自分のこと、家族のこと、将来のことで気になったり不安になり始めると、その気持ちはなかなか消えません。でも大丈夫。心配や不安を育てなければいいのです。心配の種はいろいろなところに落っこちています。間違って拾っても、それを養わないようにすればいいのです。

 

しあわせは微笑が連れてくるの

しあわせは微笑が連れてくるの

 

 

読んでいると、今のままの自分でいいんだ、と思えてほっとします。またシスターの微笑に癒されて肩の力が抜けました。

不妊治療中で煮詰まっている方にはかなりお勧めの本です。